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大石神社 赤穂

散歩 & お出かけ記事
02 /07 2013
普門寺 花岳寺 と 歩いて 赤穂城跡 大石神社へ
写真は 画上 クリックで 全体写真見えます
縮小かなりしたのに なぜが 部分掲載~と 嘆く

赤穂城 石垣は 苔生して・・・・
DSC_0014赤穂城あと地櫓


大手門

義士祭には この太鼓橋から 四十七士が・・・・

DSC_0012大手門



大石神社(おおいしじんじゃ)は、
元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。
江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って
顕彰することはできなかったが、
1868年(明治元年)、
明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし
これを弔って以降、
赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。

☝ ☟ ネットよりの説明です

元禄赤穂事件以降、
赤穂浪士を称揚する人々によって
旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。
1900年(明治33年)、
あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、
1910年(明治43年)4月に起工、
1912年(大正元年)に社殿が竣工した。
1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。
第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた
赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)
および、城外の赤穂神社に祀られていた、
浅野家の後に赤穂藩主となった
森氏の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。


大石邸長屋門
DSC_0019大石邸 長屋門
☟ クリック拡大して お読みください
DSC_0020.jpg

DSC_1955旦那 - コピー

大石 の 文字が 流れた月日 語っていました
DSC_0022大石の文字

大石邸長屋門過ぎてでた参道。こちらは 正面横でした 
DSC_0030長屋門から大石神社へ参道

そして こちらに でるんですが 
DSC_0036 - 大石神社

立って 振り返る参道が 正式参道かなぁ って 思えました
 四十七士 石像☟

DSC_0038正式参道?石像

DSC_0032.jpg

表組 裏組 に分かれての 石像なのでしょうかねぇ☝ 


一歩入った境内風景 商いカラー テカテカ~

DSC_0039境内風景

 
以前きたときは こんなじゃなく もっとさむざむで

ああ 大石神社もええなぁ って 思えたんですが

境内商魂たくましく?感じ

早々 後にしたんですよ


♪♪ちよにやちよにさざれ~♪♪  

DSC_1966 - さざれ石






            



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大石神社

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
02 /07 2013
大石神社(おおいしじんじゃ)は、
元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。
江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って
顕彰することはできなかったが、
1868年(明治元年)、
明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし
これを弔って以降、
赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。
 
☝ ☟ ネットよりの説明です
 
元禄赤穂事件以降、
赤穂浪士を称揚する人々によって
旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。
1900年(明治33年)、
あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、
1910年(明治43年)4月に起工、
1912年(大正元年)に社殿が竣工した。
1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。
第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた
赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)
および、城外の赤穂神社に祀られていた、
浅野家の後に赤穂藩主となった
森氏の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。
 
大石邸長屋門過ぎて 出ました
こちらは 正面横でした 


 

 
ここに でるんですが 

 
立って 振り返る参道が 正式かなぁ って 思えました☟
 

 
裏組 表組 に分かれての 石像なのでしょうかねぇ☝ ☟
 

一歩入った境内風景 少し です


 

以前きたときは こんなじゃなく もっとさむざむで
 
ああ 大石神社もええなぁ って 思えたんですが
 
境内商魂たくましく?感じ
 
早々 後にしたんですよ
 
 
♪♪ちよにやちよにさざれ~♪♪  
 
 
 


写真は 二人の撮ったもの採用です~
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赤穂城跡から 大石内蔵助長屋門まで

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
02 /07 2013
さて また 忙しくなるぞ~
で こちらに戻ってきた
月見草たーちゃんか わからなくなってる  です~
 
元禄14年(1701)春3月、
江戸城中松の廊下で勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、
指南役の高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという
一大事件が起こった
長矩は将軍綱吉の独裁をもって即日切腹、
浅野家は取り潰しとなる これが第一の事件である
 
 元禄15年(1702)12月14日の夜、
長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が吉良屋敷に討入り
見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こった
 
そして2ヵ月後の2月4日
義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分をうけることにより
劇的な終焉を遂げた 
これが第二の事件で、
この2つの事件を合わせたものが「忠臣蔵」である
 
☝ ネットより。
 
 その赤穂城跡地に 出かけました
 

 
毎年 義士祭 では この周辺 凄いことに~
なるんでしょうね
大手門 ☟

大手門くぐって 歩きながら 大石神社に・・・





 

 
向かう途中 の 大石邸長屋門 ☟
 

 拡大クリックで お読みくださいね☟

 

 
時は元禄十四年 主君の一大事知らせる早打ちが
どんな形相 思いで この門叩いたんでしょうか    
 

風にさらされ 雨にぬれ 時はいつしか 文字を消し~ ☟
 

 
私 高校生だったかなぁ
NHKドラマ 今の大河ドラマ枠時間帯で
長谷川忠臣蔵 みたでぇ
亡き父が 歴史に詳しくって あれこれ 説明が入り
当時は耳障り
今は懐かしい。
 

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峠 美千子

峠美千子ブログへようこそ!

ひろ~い?世間の片隅の 
 小さな山里住民です。
 
 残り少なくなった日常を
 愛おしく 大切に 
 歩いています

 残った 残ったで 今 現世に。
 落っこちたら あの世
 
 きわどい吊り橋
 揺れ揺れ~なんですよ~

 でも 昨日があって 今日がある 
 この 今に ありがたや~

 明日は・・・・???

 不定期更新ですが

仲良くしていただけたら 嬉しいです