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龍馬にあいに・・・・

瀬戸内三十三観音
02 /13 2016
 わしぁぁ 龍馬にあいてぇ
と言う旦那さんに 今度は 妻が従います(^^
 

 まずは ミコアイサにあった帰りに
 瀬戸内三十三観音札所 福性院 により


 

 



ご住職さんのありがたいお話に 耳 傾けて
鞆の浦に 向かいました
 

 

龍馬が隠れていたという 隠れ部屋 が みたいそうです
それは この福禅寺(對潮楼)にあるのだと 
私たちは思い・・・

しかし ここではなく 地図で場所 教えていただき
向かうことに。




 

せっかく 訪れたのだから
江戸時代(1711年)朝鮮通信使一行の上官八名
(正使 副使 従事官)が 對潮楼より 窓枠を額縁に見立てて
観る景色が 一幅の名画と称賛して
福禅寺上よりの眺めが日本一 と 衆議が一致して
日本第一形勝 と 書を残した
と 書かれています その眺め?

 
いろは丸です

 
で 福禅寺の客殿に展示
通信使ご一行

 












てくてく 鞆の浦の街並み 眺めながら てくてく・・・
帰宅して ネット検索したら
1867年(慶応3年)419日、坂本龍馬ら海援隊は大洲藩から
借用した「いろは丸」に乗り込み長崎を出発しました。
貿易商社「亀山社中」として、
崎から大阪へ荷物を運ぶための航海でした。
その航海途上の423日深夜、
現在の岡山県六島付近で「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突。
「いろは丸」の乗員は「明光丸」に乗り移り、大きく損傷した「いろは丸」を曳航(船をロープで引っ張ること)し、
一路港湾施設の整った鞆港を目指しましたが
途中で沈没してしまいました。
鞆の浦に上陸してから4日間、龍馬たち海援隊は
廻船問屋「桝屋清右衛門宅」へ、
紀州藩は「圓福寺」に宿泊し、双方の宿泊先の中間地点の旅館「魚屋萬蔵宅」で談判を行いました。
当時すでに幕府から命を狙われていた龍馬は「才谷梅太郎(さいたにうめたろう)」という名前をつかい桝屋に投宿しました
って 書かれていました

 もう 思い付き行動だから 旦那さんは・・・ぶつぶつ。
 ここじゃなぁ
いつもは開いてないそうです が 
11日は建国記念日だったので。


何度もきて 歩いた鞆の浦だけれど
いつも平日で 人も少なかった
のに この日は 大勢の観光客でした
 入ります

 
撮影OKだそうで 順路に従って
 

 
今は 見学用に階段がつけられています

 
 
昔は天井すべてに板が張ってあり
一部のみ 取り外し可能になっていました。とさ。
上階に上がるには 取り外しできる梯子を使っていました


鞆の商家には 商談などのための このような 隠し部屋 が
残っています だってさ。
 
階段をゆっくり登ってみました

 
この部屋だそうです
 

 
書 書きかけて どこに? 龍馬さんはお留守でした


幕府から命を狙われていた龍馬が 潜んでいた部屋
私たちは きょろきょろ 
(7か月後に暗殺されるんですよねぇ



 
 
満足?したのかなぁ・・・
旦那さんは パチパチ撮りまくっていたけれど・・・
私は ほとんどコンデジ撮影でした。

 13日14日 旦那さんは地区旅行で居ないので
 安気なんですが 明日は私家族会で介護施設なんですよ
なので


お越しくださり ありがとうございます(^^♪
 




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