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牛窓神社

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
10 /04 2012
牛窓の由来
 神功皇后のみ舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きな牛あり、
 出でてみ舟を覆さむとしき。
 住吉の明神、老翁と化りて、其の角を以ちて投げ倒したまひき。
 故に其の處を名づけて牛轉(うしまろひ)と曰ひき。
 今、牛窓と云ふは訛まれるなり。
   (ネットより)
 
 
牛窓神社・・・・ネットより
 当社は原初の頃は、土地の神霊及び氏の祖先の神霊をまつっており、
 牛窓明神と呼ばれていたが、
 長和年間、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から
応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして
牛窓八幡宮となり、
 明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。
 社伝によれば、
 鎌倉・室町時代の山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)の古文書に
 「牛窓別宮」の名があり、
当時牛窓が石清水領であったと共に社格が大変高かったようである。
  神階は従三位、式外社、備前国古社128社の内の1社にして
 明治6年郷社に、
  明治42年神饌幣帛料供進神社に、昭和15年県社に、
 それぞれに列せられたが、
  終戦と共に社格は廃止された。
 弘治元年(1555)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、
 全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失った。
 当時、牛窓は内海帆船時代であり、交通運輸の重要港に成長し、
  藩の政治、住民の経済力の増加を背景に、
 神社に対する信仰心も高まった。 
 江戸時代、特に寛政、文化の頃から境内を拡大し、社容を整えた。
  特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、
  牛窓町の重要文化財に指定されている。
 尚、当社の例祭は、毎年10月第4日曜日に行われ、
  神輿やダンジリの巡幸など港町の風情溢れる祭り絵巻が
 終日堪能できる。
 
 
 
  万葉の碑から 長い石段登って 専属さんは 神社へ
  私は 海 眺めながら 古い町並み楽しみました
  今回は 専属編 牛窓神社 紹介です
  

☝ この写真のみ峠撮影

 私が 歩いてないから 簡単に 写真紹介です
 こんな岩が・・・・
 


 

 
 
私なら この展望台がら 撮っただろうになぁ 牛窓の海を。


 木立の中の石段

 
 緑豊かな トンネルの向こうに・・・・・
 


 狛犬
 

 
 

   唐破風付きの大きな拝殿
  

 
 

 

 

いっぱい時間かけて ぶらついていたのに
写真少なかったのよ ぷんぷん
 
お粗末でした (^-^)
 

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峠 美千子

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