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昭和育ちの婆ちゃんは・・・

婆ちゃまのひぐらし語り
06 /15 2015
 
 今は平成、このお手紙読む頃は また年号変わってるかもねぇ。
 さて 爺ちゃんも 婆ちゃんも この平成の前 
 昭和の大きな戦争が終わった後 生まれたんよ。
 昭和二十二年 二十四年うまれだからね。
 幼少のころは 傷痍軍人も縁日などで大勢見たのよ。
 そしてね 戦争で片腕無くしたおじさんが 
 粉米や豆買いに来てパンや煎餅を置いて帰るの。
 お金じゃなくって物々交換。

 一斗缶って知ってるかなぁ。
 その缶に煎餅がいっぱいでね。婆ちゃんたち子供のおやつに~。
 婆ちゃんたちは よう遊んだよ。
 おおきい子が小さい子面倒みてねぇ。
 日が暮れるまで一緒に外で。
 いろんな遊びがあるんだけれどね
 また機会あったら話すね。

 そう あなたたちが昔遊びしてたね 小学校時代。
 あんなお手玉 竹馬 コマ回し 羽子板・・・でもね
 な~んにもなくってもね 
 地面に描いて遊ぶ陣取りなんかもしたよ。
 ぽこぺん とか馬乗りとかねぇ。 
 想像膨らまないかなぁ?
 図書館でもいって 昔遊び写真見てよね。

 遊びばかりじゃないよ。
 子供たちは よくおうちのお手伝いしたよ~。
 み~んな 日が暮れかけると急いで家に。

 婆ちゃんは風呂焚きが待ってるの。
 風呂水もね、水道の蛇口ジャ~じゃないよ。
 井戸から運んでいたのよ。婆ちゃん三姉妹だからね 
 ポンプ押すのが一番小さい妹で 
 風呂場まで水バケツで運ぶ役と
 風呂場でバケツ受け取って入れる役は 
 お姉さんと婆ちゃん交代でね。

 朝だってね 学校行く前は 
 お座敷掃くひと 庭(土間)掃く人 廊下拭くひと 
 でちゃ~んと掃除して 学校へ行ってたんよ。
 それが 当たり前。

 だってねぇ昔のお母さんは大変だったの。
 ご飯は早く起きて薪で炊くしねぇ。
 洗濯は大勢の衣服洗濯板でごしごし。
 服の生地もごわごわしてるのもおおくってねぇ。百姓着。
 お父さんもお母さんもおじいさんもみ~んな 
 田畑でよう働いてるからね 自然と子供もお手伝いするんよ。

 この頃ね って 今 平成二十七年なんだけれどね 
 おなたたちのおじいちゃん 
 婆ちゃんの婿さんとよく話するんだけれどね 
 子供の頃は・・・・って。
 その会話の中でよく出てくるの ロバのパン屋さん。

 おじいちゃんは三橋美智也の歌かけて来たっていうけれど 
 婆ちゃん地方は 
 ロバのおじさんちんからりん とか歌ってたなぁ。
 ロバがね 車ひいてくるのよ。
 その車の中には数段の棚があってね 
 おいしいパンがいっぱいなの。
 買ってもらうのが楽しみだったなぁ。

 今から思えば非衛生的よねぇ。
 この頃のように 何かと やかましくなかった時代。
 だってね お店はお豆腐もバケツか缶に入れてあってね 
 その水でおばさん ちょちょっと 手を洗って 
 エプロンの前で拭いて あいよ って売ってくれるのよ
 それにねぇ 油揚げなんて 自分方の新聞で袋作って 
 あいよ って入れてくれるのよ。

 汚いなんて思わなかったよ。
 今じゃ うわぁじゃけどねぇ。
 でもねぇ そんなお店で買って食べて
 お腹壊した者おらなんだなぁ。
 あなたたちは しっかり手洗いするし 
 衛生的な観点で口にするもの見るけれど 
 やれ 腸に菌がって騒いで病院通いよねぇ。


 何がどう違うのかなぁ 

 あなたたちもやがて子育てするとき 考えてみて。
 ええ加減 って生き方も ええもんよ。
 どんなに予防したって防ぎきれないこと多いよね。
 まずは耐えられる 負けない体力作りも必要かもね。
 生き方だってさぁ。
 どんなに心配したって 
 不慮の 予期せぬ事態いっぱい出会うよ。
 婆ちゃんそうだったもの。
 その時に耐える心 考える自分作りも必要かなぁって。

 恵まれすぎた環境で今育ってるあなた達見てると 
 お~い 大丈夫かぁ って。
 お外遊び少ない今時間だからねぇ・・・・

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峠 美千子

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