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凱旋桜

日記
04 /19 2014
じいさんや なんでも 岡山県には醍醐桜に負けぬ?
有名な 凱旋桜 があるそうじゃ
もう 老い先短い婆 連れて行ってくれんかのう
 
ばあさんや 仕事はいつでもできるけぇ
ほんなぁ 冥途の土産に いっちょ でかけてみるかのう
 
と 言うことで 7月になったら 
はれて高齢者65歳 になる峠
を乗せて 67歳手前の爺 の~んびり 北へ~

倉敷から 新庄村 そして 花回廊へ~
延々13時間超 の 一日の始まり

 
 
   

 
 出雲街道の案内板☟コンデジ撮影
 

 
がいせん桜は明治39年(1906)に宿場町の街道の両側に
日露戦争での戦勝を記念して137本の桜が植えられました。
その老木がいせん桜が、
新庄村の懸命な樹勢回復治療で若木に負けず、
百歳過ぎても(現在130本)綺麗に開花している。
ソメイヨシノでこれだけ長寿で多くの桜はほかにないと思います。
             ☝ネットより

 到着10時半 は まだ 駐車は余裕 でした
 川沿いに停めたんですよ
 

  
 
  凱旋並木現地案内板☟
 

  
 きたぞ~ と どんな町並みじゃろ? と わくわく
 しかし 人が多いなぁ
 
  

 
がいせん桜通りにある木代邸。
江戸時代、松江城主が参勤交代のときなどに
脇本陣として利用していた建物 ☟
 
 

 
あがりこんで 専属さん 中から 撮影 です
 
 


 

 
 
 
ちょこっと 建物内 囲炉裏を☟
 

 
 治療樹
 

 
心ばかりの募金 させていただきました
 
 


雲州侯本陣 新庄村
寛永12年(1635年)に参勤交代制がきまり、
出雲街道をいつも通っていたのは、松江藩松平であった。
元禄2年(1689年)の文書によると、この街並みに御茶屋一軒あり、
松平出羽守が通行の折りには、毎年昼休みをされたという。
佐藤家が松平指定の「御茶屋」になったのは、
寛文6年(1666年)であり、
その後の宝暦7年(1757年)に「本陣」役の請負ができた。
この頃から松平藩は、昼休みだけでなく
宿泊もするようになったのである。
本陣
門 玄関  書院造り 上段の間
世襲     主人は苗字帯刀
連絡と受人
先触 (1回目)50日以上前
請書      間取り図付けた請書
先触 (2回目)2日程前
   (現地案内板より)
下宿割     宿役人が人数割
当日      定紋付幕 関札 提灯台
 
      ☝ 現地案内版からです
 
 外から コンデジ撮影です
 

 

 
 
 新庄は 日本の音風景百選 の 町でもありました
 出雲街道の宿場町として栄えた面影を残す町並みに
 日露戦争の凱旋を記念して桜が植えられ
 「がいせん桜」として知られる。
 その桜並木の下には 江戸時代に造られた石積みの水路が流れ
 生活用水として利用されている。
 その流れが四季折々にかなでる清涼感のある音は
 ふるさとの調べとなっている
            (現地案内板より)
 な 風景






写真


 
 



 

 
しかし いいお天気で 桜も満開
人が多かったぁ・・・・


 
   吉備津神社 出雲大社 ハギ 達磨太陽 
    倉敷    広島東洋カープ 岡山県
        豊臣秀吉 黒田官兵衛 ひまわり


 
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峠 美千子

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