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南山城跡 現地説明会に(旦那さんが)参加して

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
09 /09 2019
 わしゃぁ 気になっとる
 行ってみてぇ
  

 常々口にしていた 南山城跡 現地説明会 に
 9月7日土曜日 旦那さんは やっと 参加


    私は ナメクジ農婦 
  ひと鍬おろしては しゃがみ込んで
  笹根 草株 草球根 小石・・・など 拾いあげる~

   👇は昨日の作業写真 小さな町でも 時間がかかる

小町


     それに 2時から4時までの説明会
 そんな暑い時間出席したら 即病院送りになりそうで
 私は 行きませんでした。


       やがて なくなる城跡写真
 貴重と 撮りまくった 写真 私がブログ更新です

 (説明聞いた 旦那がすればベストなんですがねぇ)

  岡山県古代吉備文化センターでは 小田川合流点付替え事業に伴い
  南山城跡(みなみやまじょうあと)の発掘調査を平成29年4月から行っています
  この城跡は倉敷市船穂町柳井原(ふなおちょう やないはら)
  真備川辺(まびかわべ)に所在し
  小田川と柳井原貯水池(旧西高梁川)に挟まれた
  標高約67mの低丘陵上に立地します
  城跡からは 北川に高梁川・小田川沿いの平野を広く見渡しことができます
  南山城跡は戦国時代(16世紀)に築かれた山城で、 
 頂部に曲輪(くるわ) 頂部南側に腰曲輪(こしくりわ)を構え
  曲輪には虎口(こぐち)、土塁(どるい)、横矢(よこや)を設けています
  さらに 曲輪の周りに急勾配の切岸(きりぎし)、
 城域の西端に三重の堀切(ほりきり)
  北斜面と東斜面に複数の竪堀(たてほり) 
 傾斜の緩やかな南斜面には
  畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)を設けており
  敵の侵入を防ぐための多様な工夫がこらされています
  今年度は頂部の曲輪と南側斜面の諸施設を中心に調査を行っています
  調査によって 土塁や畝状竪堀群などの防御施設の実態が判明したほか
  城内からは複数の堀立柱建物(ほったてばしらたてもの) が見つかり 
城内の生活を物語る遺物も多く 出土しています

    ☝は 令和元年9月7日(土)・8日(日)の現地説明会資料からです


      ☟は 今朝 娘から至急 支給 メール届いて 清音まで~

   blog_import_5d293781e351c.gif


     帰路 高梁川土手から 撮って見ました 

高梁川土手カラ

  コンデジだけれど   大きく~

  大きく


     さて 本文(笑)
 旦那さん撮影写真で さら~と。


   駐車場から歩く


      駐車場から 歩いたそうですが 結構キツイ
 でも 誰一人 暑い しんどい なんて発しなかったそうです



    虎口DSC_2937


    ☝ 虎口 城や曲輪の出入り口だそうです。

      ☟ 現地風景 翌日地元新聞には
         参加者 300名と書かれてました 
         県外の方も多かったそうです


参加者300人DSC_2926


畝状竪堀軍DSC_2957



       ☝ ☟ 畝状竪堀群 

    堀は地面を溝状に掘削した防御移設。
南山城跡では 尾根を断ち切るように掘られた堀切
   斜面を縦方向に下るように掘られた竪堀、
 竪堀を連続して並べた畝状竪堀群が確認された  


 横堀DSC_2958

堀切 ☟
   堀切DSC_2925



    掘立柱建物DSC_2904-001
    掘立柱建物 とは 地面に掘った穴に直接柱を立てる形式の建物  ☟

掘立柱建物DSC_2904


     切岸 
   敵の侵入を阻むため 曲輪周囲を人工的に切り崩したもの 

   曲輪 腰曲輪 とは
       尾根や斜面を造成してつくった平坦地を曲輪とよぶ
       腰曲輪は 
       主要な曲輪から下がった斜面上に設けられた曲輪のこと 


    城跡からの眺めは最高だったそうです


眺めDSC_2946


    昨年の豪雨で甚大な被害もたらした地

  河川付け替え工事は 必要です
   が が 山ごと削られちゃって やがて姿消す 南山城



南山城跡発掘調査DSC_2943


南山城跡DSC_2901


    美作 備前 備中
    三国に分かれていた時代 
    三村が 宇喜多が 毛利が・・・と
    国盗り合戦 の 騒乱の世 
    駆け抜けていった武将の魂がそこに・・・
     ロマン感じますねぇ・・・・・


     ※ 記事内 専門用語?説明も 説明会資料 
       引用させていただきました

                 台風アニメ 日本地図あり 台風にご注意

        


      大きな台風 通過地域の皆さま 
     大丈夫ですか?
     お気をつけて。     



         
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熊野神社(倉敷市林)

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
04 /08 2016

前記事 五流尊瀧院記事 からの 続きです

 峠散歩で大活躍の
 山川出版 岡山県の歴史散歩 890円
 めくりますと
 
 昔は 熊野神社と五流尊瀧院を一緒にして
 熊野神社権現 とよんでおり
 全国に数多くの信者や領地をもっていた
 その縁起は 奈良時代に始まるという
 の一文があります

 かなり 歴史ある 神社なんですね



 熊野神社には 六つの本殿 があります
 とのことで
 はい ここで 紹介です

 しっとりと 落ち着いて 山の中へ鎮座しておられますね


















狛犬入れて



一棟が国の重要文化財 だそうです
この社殿だと☟ 思います トリミングで。
春日造です



前から 後ろから
美しさ 溜息ものだわ
後ろ手です ☟



熊野神社 拝殿です
火災にあって 新しく?



桜井堂 党仁法親王御墳墓も(鎌倉時代)☟



そこに 使者のように 石灯篭が・・・・



ここは その昔 随分栄えた地 神社のようでした


         これは 2010年9月8日更新記事です

五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
04 /08 2016

専属さんは 
お仕事の関係で 休みの日は習字の練習をいたします
根っからのデスクワーク嫌いなお方
ふわ~ ふわ~と 大欠伸です 



買い物に行こうとする私を見て 
ついてゆく
という 

 で 買い物に行く前に 運転手は
此処も庭じゃぁ
と 倉敷市林にあります熊野神社へ・・・・(@_@;)

熊野神社 駐車場から



社務所で パンフもらおう とするも 品切れ 

ガガガ~ン
社務所です


で 案内板 パチリ


☝ これを見ながら 行ったり来たり・・・・
  まず これは手水舎☟
 大きな亀さんが いたのよ


熊野神社寄りの 小高い広場には

三重塔
  文政3年(1820年)建立。本瓦葺き
  岡山県指定重要文化財


梵鐘
  康正3年(1457年)
  県重要文化財


 熊野十二社大権現本堂





そして 駐車場には とても 趣ある池があって


その石橋の向こうには
後鳥羽上皇五流尊瀧(ごりゅうそんりゅう)宝塔がありました
 国重要文化財です



後鳥羽上皇御影塔
 延応元年(1239年)二月二十二日
 隠岐の国にて後鳥羽上皇が崩御あそばれたが
 1240年一周忌に際し 上皇のご供養をするため
 覚仁 頼仁両親王(五流尊瀧院中興)が
 御影塔を建てました
 応仁の乱においては、廟堂 経堂を灰?にされてしまい
 御影塔も勃火にさいなまされて
 現在の姿を残すだけとなってしまった
 また 南側の小さな五輪塔は
 隠岐の国から上皇のご分骨を携えてきた
 近侍の墓とも伝えられている。
 この宝塔は地盤から宝珠の頂まで五メートル弱あり
 昭和三十一年 国の重要文化財に指定されている
  修験道総本山
  五流尊瀧院
     の説明文がありました
                     続く・・・・





                                     2010年9月8日更新記事です

吉備津神社 境内散策

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
04 /01 2016
先日 出かけた 吉備津神社 ☛ 御陵 ☛ 吉備津彦神社 の
吉備津神社のご紹介です

ここは 表参道
お正月三が日は 多くの参拝者がみられました



境内には 数多くの摂社や末社が祀られている
とサンブックス 吉備津神社 に記載されていた
そのいくつか を 紹介です

宇賀神社 ☟


     祖霊社 ☟



     えびす宮 ☟



吉備津えびす宮は 
   江戸時代 県下に有名にして股賑をきわめた当えびす宮は
   明治期 当社が宮社に列するに及んで社殿の奥深く蔵され
   祭祀中絶の止むなきに至って居ましたが
   信仰篤き人々による再興の懇望黙し難く
   ここに殿宇を新築して 祭祀する。
 と 案内板に ありました


      稚児社☟




その横には 水車。
闇から闇に消えて行った 小さな命をなだめるかにように
ゆっくり ゆっくり まわっておりました。



この礎石は 室町中期の文安四年(1447年)建立の
三重塔の心礎である
当社の古図や旧記によると
この塔は一層が三間四方という堂々とした大塔であった
しかし 次第に腐朽も甚だしくなったので
享保十七年(1732年)社家たちに依って取り壊された
今日 わずかにこの心礎に依って 在りし日の大塔を
想像するほかはない
 と 記されていた 三重塔の心礎☟




有名な 御釜殿 近くには

   鳥居☟


   手水舎 ☟

    
    井戸




が ありました。
近くのお庭。歩いてみましょうかねぇ。







あらか はずみましたかぁ
は~い トイレは こちら~(^^♪




これから 吉備津神社 本殿など 記事にします。



   ☝ 2010年7月31日午後5;30更新記事です

長い回廊

史跡  ( 神社 仏閣 他 )
03 /18 2016
 日時指定うっかりでした
この前記事は こちら ☟




長い回廊を歩くと そこは 御釜殿 であった

さぁ 吉備津神社です
まだまだ 元気 あった 二人です

吉備津神社
 第10代崇神天皇の御代に 四進将軍として吉備国に派遣された
 吉備津彦命を祭神とし 古来吉備地方の総氏神として
 崇拝されている。
 現在の本殿及び拝殿は 応永32年(1425年)に完成。
本殿は 比翼入母屋造 または 吉備津造 と呼ばれる。
独創的様式の大建築で 拝殿と共に国宝に指定されている。
また 延命2年(1357年)再建の南隋神門
天文12年(1543年)再建の北隋神門
共に国の重要文化財
御釜神事の行われる御釜殿は慶長17年(1612年)の建築で
岡山県重要文化財に指定されている。
                 岡山県 岡山市
 この☝案内板 念頭に 歩きます 



駐車場で鬼さんと会い その後 すぐ目についた 矢置磐。☟

 



矢置磐の由来
 社伝によれば 当社の西北八キロの新山に温羅のいう鬼神あり。
 狂暴にして 庶民を苦しむ
 大吉備津彦命は 吉備中山に陣取り鬼神と互いに弓矢を射るに
 両方の矢が 空中に衝突して落つ。
 そこに 矢喰宮(旧高松高塚に現存)あり
 また 中山主神(なかやまぬしのかみ)は
 鬼神の矢を空中に奪取す
 当社本殿の中に祀る矢取明神(やとりみょうじん)は
 すなわち それなり。
 この戦いのとき 大吉備津彦命
 その矢をこの岩の上に置き拾いしにより
 矢置岩と呼ぶ・・・・以下略・・・・

 案内板に☝こう記載されていました

 矢喰神社 先日 記事にしましたね ☟



 ここ 吉備津神社ではねぇ 弓道の大会が開かれています
 いつか 参拝したとき 大会だったわ。
 

 この石段☟ 長いんですが まだ 元気な時
 溌溂 歩きます


 ☟北隋神門は あの 赤い建物です
 三間一戸の八脚門で 入母屋造
 檜皮葺(ひわたぶき)の女性的な神門。
    サンブックス 吉備津神社より


 そして 拝殿に。
 正面には 平賊平民 の 扁額



  本殿 ☟
  比翼入母屋造(ひよくいりもやつくり)の大屋根



この☝ 拝殿 本殿 は 国宝。

長い回廊 下って 御釜殿 に。



専属さん 撮影 回廊 ☟。
この屋根の流曲線美
総延長398m。
脇の石灯篭もみてくださいね


中から。 ☝☟ 二枚のみ専属さん撮影です。


これは 峠撮影。 御釜殿あたりから。
あの赤い建物が 南隋神門☟

南隋神門は 長い回廊の中間点に建つ
      三間一戸の八脚門
      本瓦葺 1357年再建



長い回廊ぬけると そこは 御釜殿☟


御釜殿の建物☟


様子は 撮影禁止 なので 案内写真 より。☟



この日は 外人さんも お祓いしていただいていましたよ

 御釜殿鳴動神事の由来
社伝によれば 御祭神に退治せられた 鬼神温羅を
祀るところ と 伝えられる。
以下 ネットより コピペです
      社伝によれば御祭神に退治せられた鬼「温羅」を祀る処と伝えられる。
縁起によると、或る夜吉備津彦命の御夢に温羅の霊が現れて「
吾が妻、阿曾郷の祝の娘阿曾媛をしてミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ、
若し世の中に事あらば釜の前に参り給はば、
幸あれば裕かに鳴り、禍あれば荒らかに鳴らふ 
ミコトは世を捨てて後は、霊神と現はれ給へ吾が一の使者となりて四民に賞罰を加へむ」
と告げた。
これ神秘な釜鳴神事のおこりである。
今日も「鳴釜の神事」が行なわれており鳴動の音の大小長短により
吉凶禍福を卜するのである。
江戸時代の林道春の「本朝神社考」や上田秋成の雨月物語「吉備津の釜」などに
紹介され神秘な神事として天下に有名である。
    うすなへる神のひびきに鳴る釜の
       音のさやけき 宮ところかな      重胤
御釜殿祈祷一件につき参千円也
神火授与
吾がくにでは古来より火は神秘なものとして神聖視されて来ました。
当御釜殿の火は古くから消えることなく伝わる神火で各家庭の火を清めると禍を祓い福を招くと伝えられ今日でも特に火を取り扱われる人々が火縄にてお持帰りになって居ります。
http://www2a.biglobe.ne.jp/marusan/kibtokamadenguid11.jpg
(現地案内板より)温羅祀り処 吉備津彦


屋根瓦 これは 専属さん 撮影です ☟




長々と峠のおもいつき
桃太郎おっかけ お付き合い ありがとうございました
まだまだ 伝説地 ああるんですが 行けてませんので
ひとまず これにて ちゃんちゃん おしまい(^^♪

   これは2010年7月31日午後5時49分更新記事です

峠 美千子

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